芸術関係の学科が多い高校に通ってたのもあって、校内で謎のコンクールが開催されたことがありました。
ゴミ箱コンクールと銘打たれたこのコンクールは、円柱タイプのデカイゴミ箱に装飾を加えて3学年各6クラス計18クラスで文化祭の日に来てくれたお客さんの投票でどのクラスが1番よかったかを決める大会でした。
3年だった僕のクラスは、このわけのわからんコンクールに誰も乗り気ではなく、受験も近い人からすれば、そんなことやってられるかってなもんでした。
僕はそのあと結局大学受験するんですが、その時は全く進学を考えていなかったので、ゴミ箱コンクール担当になりました。
後日、開催するにあたって説明会が行われました。
垂れ流しでほとんど説明を聞いてなかったのに、一箇所だけ気になった部分がありました。
「製作費用は1000円まで支給。残りは実費でお願いします」
という言葉でした。
捻くれ者のぼくは思いました。
ゴミ箱作るのに、金出して作るんさっぱりわからん。と。
そもそも文化祭にしても何にしても行事事で使われてる資材にすごく勿体無さを感じてました。
模擬店の装飾のために買った画用紙とかを終わったら、ぶっ壊して捨てる。
まあ、それはそういうものなんですけど、なんか勿体無い。
当時なぜかゴミのことをよく考えてたのを覚えてます。
プレゼント用の包装紙は綺麗に包まれて豪快に破って捨てられる。
なんて儚い運命。
綺麗で高級感がある包装紙ほど豪快に破るのが気持ちいい。
ああ考えれば考えるほど悲しい運命。
これかわいそうなのが、包装されていない包装紙に変な折り目や汚れがあれば、包装されてもないのに捨てられるんです。
どっちにしろ捨てられるのが決まってるんですよね。
かわいそうな包装紙。今度包装紙のコント書こう。
話が逸れましたが、つまりゴミを出すことがわかっているのに何かを買いたくないと思ったわけです。
まず決めたことは1円も使わないことでした。
そこから製作期間が2週間くらいあったんですが、一クラスに一個これまた新品のゴミ箱が配られるんです。
このゴミ箱終わったあとどうすんねん!捨てんのか!っと思いましたが、逆に全く汚さなければ終わった後もゴミ箱として使えると思いました。
というわけで、友達1人をほぼ無理矢理連れ出し会議を始めました。
まず決めていた1円も使わないとゴミ箱自体は汚さない。という意見からゴミ置場から拾ったものでゴミ箱の蓋みたいなものを作ろうということになり、結果サメの頭みたいなのがゴミ箱から飛び出てる様なものになりました。
芸術関係の高校というだけあってゴミ置場は資材まみれ。使えそうなものが山のようにありました。
優勝しました。
他のクラスのも全部見ましたが、手前味噌ですが圧倒的に自分のクラスのがシンプルでインパクトがありました。
装飾を外したゴミ箱と事前にもらってた制作費1000円丸々返した時気分良かったです。
賞金にこれくれや。とも思いましたが。
デザインの学科にいた僕に美術科の先生が言った言葉でよく覚えているのが、「デザインは世の中に必要あるものを描いて、美術は世の中に必要ないものを描くんや」
これは衝撃的でした。
美術はゴミ作ってるのかと思いました。
今ぼくはコントや漫才などのネタを作っています。
世の中に必要ないものだと思います。
美術に関してもですが、先生が言った世の中に必要ないものというのは言い方間違えてるかもしれませんが、大半の人がそれがなくても生きていく上で困らないものいうことだと思います。
絵画でも、それがなくても生活する上では困らないです。
それが好きで好きでたまらない人からすれば、無くなれば生活する上で困るんでしょうが、それは例外として。
他人からすれば、なぜ必要なのかわからなくてもその人には大切なもの。
子供が大切にしている綺麗な石っころと同じです。
それが作れたら最高です。
ふとした思い出話でございました。